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ダンガンロンパV3感想、考察

※※ネタバレを多大に含みます※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プロローグ冒頭にこういう文章があります。

 

「まだ、ここには何もない

光も音もない

私の姿も、私の声も、ない

私が誰なのか、まだ誰も知らない

私は誰?

誰が私?

私は手を伸ばす

まだ誰のものでもない手を

私という存在を掴む為に」

 

私は「これは、まだキャラクターや世界観が何もできていない状態なのではないか」と考えました。

 

「まだ、ここには何もない(企画が立っていない)

光(背景等)も音(BGM、効果音等)もない

私の姿(キャラクターデザイン)も、私の声(声優さん)も、ない

私が誰なのか、まだ誰も知らない(名前等、細かい設定がない)」

ということなのではないかと。

 

私がこう思ったのは、これらの文章が表示されている間、画面が真っ暗だったからです。

未完成で、何も表示できるものがないため、画面が真っ暗なのだろうと。

そしてこのあと「これが、私だ。私の名前は、赤松楓。今、私はようやく私を認識した。」と続き、赤松ちゃんのスチルが表示されます。

キャラクターのビジュアル、声も決定し、性格、設定なども決まったので、物語の始まりとなったのではないでしょうか。

赤松ちゃんが「はじめまして、私。この狂った物語の主人公さん」と言ったのは、そこが「赤松楓というキャラクター」が生をうけた瞬間だからなのかもしれないと思いました。

 

ダンガンロンパV3というゲームのキャラクターとして生まれた彼らの人生の始まりは、現時点では「才囚学園」で、それ以前はありません。

「現時点では」と言ったのは、この先外伝等で過去が詳しく語られることがあれば、彼らの人生はまた広がるからです。

 

私は通常、キャラクターも自分たち3次元の人間と同じように「母親から生まれ、きっと幼稚園、小学校、中学校と普通の生活を経て今の○○になったんだろう」と考えてしまいます。そんな風に、キャラクターをまるで実在の人物であるかのように考え、彼らの人生について考えるのはとても楽しいのですが、今回の場合は、そう考えられてしまうことが裏目に出てしまっているのかもしれないと思いました。

 

ダンガンロンパV3のキャラクターとして生まれた彼らは、才囚学園でコロシアイをさせられるために生まれたのであり、プロローグ冒頭や、オーディション映像内などで出てきた、一般人として生きていた過去の時間はないわけです。

家族等も当然設定なので、帰る場所は強いて言うなら才囚学園です。

彼らの世界は才囚学園が全てであり、V3の舞台として設定されていない以上、出られる外の世界はないはずなのです。

 

 

1章~5章は王馬小吉の言動が不穏すぎて、殆ど彼の追っかけをしていたので割愛します。

すみません。そのうち彼についてもまとめたいとは思っています。

 

 

で、問題の6章後半です。

突然「あなたたちはフィクションです」と言われ、「思いも感情も全部設定!」だと言われます。

ここが、先に述べた「2次元のキャラクターをまるで実在の人物のように考えられてしまうことが裏目に出てしまう」部分なんじゃないかと思いました。

「あなたたちの今見ているそのゲームのキャラクターには設定があります」と言われているだけなのですが、最原くんたちや亡くなっていった子たちを実在の人物のように考えられてしまうがために「は?え、え?この子たちの存在が偽物?嘘?」とひどく動揺してしまうのではないか、と思います。

感情移入していればしているほど、キャラクターを好きになっていればいるほど動揺するでしょう。

 

さらに、外の世界のこと、帰る場所のことなど、色々を知りたいと言う最原くんたちにモノクマが言います。

「自分と関係のない世界のことなんて放っておけばいいのに」

「オマエラの世界はこの才囚学園の中だけなんだから、外の世界なんか気にしても仕方がないのに」

ここで言う「外の世界」は3次元のことだと考えています。

モノクマの言う通り、「ダンガンロンパV3」というゲームのために生まれたキャラクターである最原くんたちの世界は才囚学園の中だけです。

生きている次元が違うのですから、確かに関係のない世界であるわけです。

「放っておけばいい」とは私たちに向けられた言葉でもあるのかもしれません。

「所詮ゲームのキャラクターなんだから、いちいち誰が死んだとか心なんか痛めてないで、16人が極限状態で殺し合うことそれ自体を楽しみなよ」と。

 

そして裁判場のモニターいっぱいに映し出される無数の視聴者。

その視聴者の顔は、2次元の顔の造形ではなく、私たちのような3次元の顔です。

なぜいきなり3次元の顔がでてくるのでしょうか。V3世界に視聴者がいるのなら2次元の顔で良かったはずです。ここで私は、視聴者≒3次元のプレイヤーなのだろうと思いました。

BADEND時にキーボに「内なる声」の1人として、救済に票を投じることができるのもそのためかと思われます。

 

一度はBADENDで閉じてしまったV3世界ですが、プレイヤーが票を投じたことで再び動き出します。

私はこの辺からもう誰かに感情移入するのではなく、殆ど視聴者の位置から見ていたように思います。

 

ついさっきまで操作させてくれていた最原くんはもうプレイヤーに操作されてくれません。

「もうお前の操り人形なんかごめんだ!僕は僕の意思で生きているんだ!」とでも言うかのように、こちらに向かって力強く指を指してこう言います。

「この世界がフィクションだとしても、僕ら自身がフィクションだとしても、この胸の痛みは…本物だ!仲間を失った悲しみは本物なんだ!」

「僕らの命を弄ぶコロシアイを僕は絶対に許さない。外の世界がそれを求めているというのなら…僕は世界を否定する!僕らの悲しみや痛みを見せ物にしている世界と戦う!」

 

さあ最原くんたち2次元から3次元への宣戦布告です。

 

フィクションを「嘘」だと宣ったつむぎちゃんはチームダンガンロンパの社員であることもあって、3次元寄りの陣営ではないかと思います。ただ、実際社員であるわけではなく、彼女もまたそういう設定を付けられたいちキャラクターであるのだと思っています。

(このチームダンガンロンパですが、私は、架空の運営ではなく実在のV3制作陣のことを指しているのではないかと思っています。)

ですが、仮にもモノづくりをする人間であるはずのつむぎちゃん、自分の制作したもの、キャラクターにここまで「自分の作品は他人に何も影響がない」「感情が動いてもそれは全部嘘!」と言い切れるのは、ある意味鋼のメンタルです。

「何もかも誰かが考えた設定や筋書きでしかない世界、その世界から生まれた言葉や行動はすべて嘘でしかないんだよ」

「フィクションのキャラクターが何かを訴えたところで、外の世界はそれもフィクションとしか感じないの」

私自身絵や漫画を描きますが、やはり「自分の作品を見た誰かの心を動かせたらなあ」と思ってしまうもので…。

そこで私がふと思ったのは「本性を表したつむぎちゃんのセリフは、小高さんの作品に対する思いをウソダマ化したものなのでは…?」ということ。

どうなんでしょうか…

 

 

「僕はフィクションの中から外の世界と戦う」と宣言した最原くんは徹底的にゲームを成り立たせなくしていきます。

投票放棄にミニゲーム放棄に裁判放棄。

この辺から「いいぞ!いいぞ最原くんやったれ!」くらいの勢いで応援していました。

 

 

 

 

「外の世界にフィクションの希望を見せる為だけに、新しいキャラクターが作られて…新しいコロシアイに巻き込まれて、仲間同士で裏切り合いをさせられて…」

「退屈すればいい…僕らは見せ物じゃないんだ」

 

最原くんの怒りも当然だと思います。私たちから見れば彼らの世界は2次元でも、彼らからすればそこは3次元なわけですから。

そしてこれ以上負の連鎖を続けないためにと自分たちの命を使ってコロシアイを終わらせるべく全滅を覚悟するも、(おそらく外の意思で)生き残る3人。

キーボくん爆発しなくても…よかったじゃないか…

 

最原くんたちがこちらを見上げているスチルが引いていくと、画面が割れているような演出が最後に見えます。

2次元からこちら側が覗かれているような印象を受けました。

彼らは一体これからどこに行くのでしょうか…?

文字通り現実(3次元)に出てきて何かやらかしてくれても面白いなあとは思いますが笑

 

 

賛否両論のある結末だと聞いていたので恐る恐るプレイしていましたが、私個人としては「しんどい…しんどいけど面白い…」というダンガンロンパならではの感覚が味わえたので満足でした。ただ生き残り3人は少し寂しくもあり…

6章まできた時点でキーボは残ると思っていました。油断した…

 

カジノやらアパートやらすっ飛ばして本編を進めていたのでそっちもいじりたいし、育成計画や紅鮭も楽しみたいと思います。

キャラの考察もしたいし、2周目やったらまた印象変わりそうな気もしているので、ひとまず1週目の感想、考察ということで終わりにしたいと思います。

ここまで目を通して頂きありがとうございました。